オリンピック選手との思い出から考えた、瞬間を重ねて人生になるということ

リオオリンピックが終わりましたね。

オリンピックの試合や結果自体も素晴らしいですが、オリンピックというと個人的に思い出すことがあります。

※もちろん人によって全然違うので、以下はすべてあくまで僕の経験と記憶の範囲内です。

新卒で入った広告代理店でクライアントさんの業務の一環として、オリンピックの啓蒙活動で全国を回るイベントを担当させていただいて、そこで実際にオリンピアンの方にお会いしてお話をお聞きする機会がありました。

アテネオリンピックの時期だったので、日本選手団おつかれさま会のような場所で、北島康介選手が壇上に呼び出された時にメダルを複数首にかけて会場を歩くので、メダル同士がぶつかってなんとも言えない音がして、それを他の選手も含めてその場にいたみんなが聞いてどよめいた、というような貴重な場面も体験させていただくことができました。

オリンピック選手というと、当然ながら雲の上の存在ですごい努力で結果を残した、自分なんて口もきけないような人たち、というイメージだったのですが、実際にお会いしてお話をお聞きするとすごく「淡々としている」というのが一番強く残った印象でした。

「どうしてオリンピック選手になろうと思ったんですか?」「いつから『オリンピックに出れるかも』あるいは『絶対に出たい』と思ったんですか?」というようないかにもミーハーな質問をしたのですが、実際にいただいた答えで多かったのが、「子どもの頃からやっていたので、それが自分にとって自然だった」というものです。

実際にはすさまじい熱意・パッション・モチベーション、そういったものを一般人の僕にいきなり見せることは当然ながらあまりないわけですが、そういったことを差し引いてもなお、この答えは自分の中ですごく「ハラオチ」するものでした。そして、静かに衝撃を受けました。

一般人の感覚や報道の量でいうとオリンピックがすごく大事な瞬間でそこだけがフォーカスされがちですが、実際には選手のみなさんにはずっと続くそれぞれの長い競技人生があるわけで、オリンピック「だけ」が大事なわけでなく、それはあくまで競技人生の一部で、オリンピックの前も後も、ずっとその競技と向き合ってきて、それが続きます。

これは考えてみれば当たり前で、かつ必ずしもスポーツやオリンピック選手という範囲にとどまるものではなく、人生のあらゆる物事で言えることだなと思います。瞬間瞬間に全力を注いでいかに成果を残すかという点と、長く続く時間の中で勝利も敗北も含めてどうやって人生を形作っていくか。

オリンピックのメダルをとった瞬間(だけ)を繰り返し放送するテレビなどを見るたび、いつもこのことを思い出します。

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